空港からホテルまでの40分、マイナス6度

iPhoneの天気予報によると、ベルリンの気温はマイナス6度だった。意を決して外に出る。体験したことのない、いっそ爽やかに感じるくらいの寒さ。日が落ちきった暗さに怖じ気つきながらタクシー乗り場を探した。道路に囲まれた中州のようなところに蛍光のオレンジ色のベストを着た男性が。見回してみるとやはりタクシー乗り場はそこのようだった。信号のない道をどうにか渡り、中州に一歩乗り上げた途端に蛍光のオレンジ色が半ば怒鳴るようにあれだあれだ、と私の後ろを指差し、振り向くと私と大して歳の変わらないようなお兄さんが仏頂面で立っていて、ハロ、と一言。


空港からホテルまで乗せてくれたのは恐らく中東にルーツを持つお兄さん。ハロ、と言ったきり、あとは無言。こういうものかと思いながら窓の外を眺める。日本時間で考えると朝の4時から夜中の1時近くまで起き続けていることになる。12万円払って、そして12時間をかけて憧れのベルリンにやってきたというのに、私は疲労と不安のせいで心底参ってしまっていた。これからタクシーを降りて知らない街に飛び出して行かなくてはならないなんて。タクシーを降りる前の会計も、チップの計算も恐ろしい。なんで来ることにしたんだろう。大阪に帰って自分の部屋のベッドで寝たい。

 

タクシーの車内で流れていたのは、聞き覚えのある曲だった。軽快なジャズのような、音と音の隙間が心地よい音楽。ソウルキッチンの料理をする場面で使われていた気がする。そのひょうきんとも言える音が夜のベルリンの街の景色が妙に似合っていて、なんだか自分がジム・ジャームッシュの映画の登場人物になったような気持ちになり、頬が緩んだ。かかっていたのはラジオのようで、曲が変わると歌い手も変わった。どれも落ち着く音ばかりだった。プレイリストを知りたいと思うくらい。お兄さんに話しかけようと思ったきっかけだった。


信号が赤になったタイミングでこの音楽好きです、と言うとずっと黙っていたお兄さんの表情が明るく、豊かになった。これはジャズミュージックだよ。仕事の時はこれにするんだ、リラックスできるから。普段はジャーマンラップを聴く。ポップミュージックはどれも同じに聴こえるでしょ。

 

それから、お兄さんは窓の外に現れる建物や道を指しては説明をしてくれるようになった。ベルリンは新しい街なんだ。どんどん新しい建物ができてる。それも、あのビルも、できて2年くらい。(確かに雰囲気が梅田の北エリアに似ている。)この両脇の建物は医療系の大学。この建物は知ってる?有名な劇場だ。フォルクスビューネ。この駅からはヨーロッパのどこにだって行ける。パリ、ロンドンなんか9時間くらいかな。これから東のエリアに入るよ。道が広く、建物も大きくなってくる。ほら、有名なテレビ塔だ。あそこにはレストランがあって、食事ができるんだよ。あの丸い部分が回転するから街中を見渡せる。(回転することは知らなかった。)この辺は戦争の後、全て破壊されたんだよ。


実際にその場に行ってこの目で見たいと思っていたフォルクスビューネも、Teacher's houseの東独時代の壁画も、カールマルクス通りのあの本屋も、このタクシーの窓から見たものがきっと一番の思い出になる。お兄さんの説明に相槌を打ちながら、そう思っていた。零下の気温だろうに、白い息を吐きながら自転車を乗り回す人たち。物を食べながら歩道を歩く女の子。無骨なアパートのカーテンのない窓が、不思議な紫色やピンク色に光っている。ガラスの向こうの灯の中、食事をしながら笑い合う人たち。椅子もドアもないOaseの店の前にも、連れ立って食べ物を頬張る人たちがいた。ベルリンだなあ。微笑ましく思いながら見ていたら、帰りたいという緊張が和らぎ、前向きな力が湧いてきているのがわかった。興味のあるものに向かっていける、それを楽しむことができるという自信と期待。


好きなアーティストは、と聞くと具体的な名前は出てこなかったけれど、仕事で聴くのはジャズだけど、普段はドイツのラップだな。知ってる?どんどん新しいアーティストが出てきて盛り上がってる、とのこと。ヨーロッパの中東系の男性はヒップホップが好きな人が多い、というイメージがここでも肯定された。ヒップホップがどのような環境から、どのような感情を伴って生まれてくるのか。ドイツのラッパーのほとんどは移民のルーツを持つ人たちになるのでは、というのが私の長年の推測だった。特にドイツ、そしてベルリンにはトルコ系の人たちが多い。もちろんベルリンでコンサートに行く予定があることは彼には言わなかった。それは彼の聴くヒップホップとは全く別のものだからだ。

 

貧乏旅行だというのに、街を見せてくれたから、と伝えてチップを弾んでタクシーを降りた。